わが俳諧人生

立花三千男

  私は生来書くことに馴染んでいて、折りに触れエッセイなど書いてきた。数年前に
神戸でミニコミ誌川柳欄に応募したところ入選したので、川柳の面白さに取り
憑かれ今も続けているが俳句は苦手だった。句会はどうも肌に合わない。俳句は
膨大な季語を覚えておかねばという先入観があって、これが俳句を遠くしていた。
新聞入選句に「仰天の世を生抜きて穴まどひ」というがある。この句の季語は
穴まどひ、秋の季語だ。「蛇が秋の彼岸が過ぎても穴に入らないでいること」を
知らないと、この句の意味も良さも全く分からない。
 さらに句会の雰囲気に尻込みした。ここは投句(投稿句)の優劣が俳人同士で
競われるから、当然ベテランに存在感があり彼らの薀蓄に圧倒される。新米には
居心地が悪い。こちらは楽しむ俳句を期待するのに、かえってストレスになる。
そんな体験から俳句に苦手意識が働き、ついつい敬遠してきたのである。
  2年前赤穂に転居して間もなく、ある句会に誘われた。転居して友人知人も
いないこの時期だったから蛮勇を奮い参加した。主宰者が元会社員で同年男性
と聞いたことにも心が動いた。句会は参加者全員が当日自作品(通常は5句程度)を
持ち寄って行われる。私は以前に作っていた数句に足して5句を持参。このノルマは
初心者にはつらい。句想などそう簡単に生まれないし、たまに良い句ができたと
思ってもすでに誰かが詠んでいるのではと心配になった。事実、俳句は類句が
非常に多く、大概の場面や思いは詠み尽くされている感がある。後の句会で主宰は
「マンネリ打破、新規性を出せ」と口酸っぱく言っておられた。私は様子見の軽い
気持ちで参加したが、思いも寄らぬ展開が待っていた。
 参加者が15人なら、合計75句(1人5句として)が集められる。投句は無記名で、
これらが15枚の用紙に転記され順次回覧される。参加者は75句から特選1句を
含む10句を選句用紙に記入して提出。次にこれらの選句が順次被講者(読み上げる人)
によって読み上げられると、作者が名乗りをあげる。句会は大体こういう手順で
行われる。
 初参加は2年前の12月、参加者は9人(欠席投句が5人)だった。私は分担作業を
こなしつつ被講を待った。その時の気分はまな板の鯉、自分の貧弱な作品が句歴
10年以上の先輩方にどう見られるのか緊張だった。最初の選者の10句が読み上げ
られていき最後に特選句が読まれた。それは「昼時を告ぐ妻がゐて冬紅葉」、私の句
だった。
 私は一瞬わが耳を疑った。驚いたことにこの句に選者(私を除く)8人中7人の選が
集中した。これだけで私は十分に満足だったが、最後の主宰の総括でも予期せぬこと
が起こった。当日の優秀句3句の1句に選ばれたのだ。私は恐縮した。驚きもしたが、
他の参加者にも驚きであったと思う。私は俳句は姶めたばかりで見学の触れ込み
だったから。
 主宰はある俳句結社の赤穂代表で句歴は20年、その貫禄を感じた。座談も
軽妙酒脱で楽しかった。私はこの出会いから俳句をやってみようという気になった。
その後、仕事を始めたので句会は10か月で断念、以後は独学独習で俳句を続ける
ことにした。それだけでは持続しないので、以前から姶めていた新聞投稿を義務
にした。
 新聞各紙に文芸欄があり、いずれも著名な選者がつく。その中で神戸新聞を
選んだ。地方紙が入選確率が高いし、神戸新聞には赤穂の人(常連が5、6人)が
ちょくちょく登場していて親近感があった。新聞への郵送投句の良さは気が向いた
時に一人で楽しめること。投句は内緒でできるから落選ショックが少ない。駄作が
選者に笑われていても事情は分からない。気が楽だ。そんな訳で目下は新聞投句を
楽しんでいる。
 神戸新聞の選者は山田弘子氏(伝統俳句)と伊丹公子氏(新興俳句)で、投句者は
どちらかを選ぶ。私は伊丹選者を選んだ。結果としてこれがよかった。最初の投句が
入選し、それが新聞に出た。その句は「カフェはカトレアとタンゴ 自分史書く」。
実はこんな作品でいいのかと不安だったが、伊丹選者の目に留まったのだ。この自信
というか気分はその後の俳諧人生への大きなインセンティブになった。伊丹選者は
この句のように1字分の余白を認めている。この余白は「間」の効果があり余韻を
生むように思う。伊丹選の句にしばしば見かけるが、伝統俳句にはこの形がない。
 伊丹選者と相性がよかったか、過去13回採っていただいた。毎月5句前後投稿する。
だから大半は没になる勘定だ。選句され、私も特に気に入っている5句をご披露
させていただく。


   ミモザ咲く南仏午後のアンニュイ  (昨年4月入選)
                              フランスからの絵はがきを見て
路地驟雨傘の女の江戸しぐさ  (昨年8月入選)
                         江戸ものTVの一場面
 雑草や 芋掘る妻の見え隠れ  (昨年10月入選)
                       わが畑での実景
   囀りの朝 コーヒーはモカにして  (今年6月入選)
                                  今朝のコーヒーは と聞かれて
 秋の夜は書よし酒よし独りよし  (今年9月入選)
                           本音は「独りもよし」

 今月9月、俳聖松尾芭蕉の墓に詣でた。芭蕉は元禄7年大坂で亡くなり、言により
近江の義仲寺(大津市)に葬られた。俳諧を志す以上遅まきながら芭蕉に関心を持った
のである。
 芭蕉は伊賀上野の人、その墓地が郷里ではなくなぜ近江なのか疑問だった。
芭蕉に関する本を読んで疑問は解けたが、いろいろ知るにつけますます芭蕉のことが
気になる。嵐山光三郎の『悪党芭蕉』(新潮社)、田中善信の『芭蕉二つの顔  
俗人と俳聖と』(講談社)などは推理小説以上のストーリー展開で興趣は尽きない。
 かくて俳諧がわが人生にとって大きな存在になってきたのである。

  
       カフェはカトレアとタンゴ  自分史書く
(2008年9月30日)
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