赤穂に住んでみて

北原敏夫

   1995年、すでに独立して家庭を持っていた次男が喘息発作による心臓停止、そして重度の
脳障害患者となってしまって、私達夫婦は住み慣れた神戸を離れ、息子のリハビリに都合の
良い土地を探すこととなりました。
   医療体制が整っているのが何よりの条件でしたが、二番目には私達夫婦の願望もなるべく
叶えてくれる地にしたいなと考え、あちこち探して行き着いたのがこの街でした。

[赤穂の地]
1.初めて当地を訪れ、貸自転車で街中を走ったとき、なんとも懐かしい気分に
  なりました。40年前、25歳の時に離れた故郷京都で、街と言うものへの染み付いて
  いる感覚が呼び覚まされるようでした。昔ながらの家並み、きれいな流れの千種川、
  三方の山々、そして故郷にはない瀬戸の海。この「懐かしい感覚」が他の土地には
  ないもので、それ以外の必要なことをあれこれ調べて、迷わずこの地にしようとした
  “決め手”でした。
2.その日釣れたベラやセイゴなどを頂いて刺身にしたり、別のお隣さんからは美味しい
  果物を頂いたり、我が家からは京都やちょっと遠出した時に気持ちだけのお土産を
  差し上げたりと、ご近所付き合いも気持ちよくできています。因みに両隣の境には
  塀も生垣も無く、互いに出入り自由なオープンな状態にしています。
3.約9年前に家を建てるとき、たった一部屋ですが、敢えて3階に部屋を造りました。
  大気の澄んだ日は、瀬戸内海越しに讃岐・鳴門の山々、さらにその奥の山々まで
  くっきりと見えて、音楽を聴きコーヒーを飲みながら、眺めを心から楽しみ味わって
  います。
                                (2007年7月23日)

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