終の棲家と選んだ赤穂

常深 修

 定年後、自由の身になった10年前、大震災を機に神戸を離れて赤穂に移り住んだ。
赤穂を選んだのは次の理由からだった。
    @ 山と川と海に恵まれ、自然豊かであること。
    A 神戸から丁度車で一時間の距離にあること。
    B 塩田跡の広大な土地が、都市計画の実施により、優良な宅地になっていること。
 移転を決めたとき、家内は大反対だった。友人も親戚も居ないところで、私はどうして
暮らすの? 天職と思っているホームヘルパー2級の仕事や卓球で毎日楽しく暮らしている
神戸から離れられない・・・・と。
 しかし、私には"近郊老住"という夢があった。それを満たしてくれたのが赤穂だった。
移り住んでみて、私の予想より赤穂ははるかに良かった。それは、人間関係の良さである。
家内も、10年の間に、卓球は言うに及ばず、カラオケ・民踊・Gゴルフ・コーラス・
手芸・・等々、婦人会や高齢者大学などで喜々と毎日を忙しく過ごしている。
 毎朝のウォーキングで、あれだけ苦しんだひざ痛も治り、今では走り回っている。
「赤穂に来てどう?」と、聞くと「言うまでもないでしょう。お陰さまで」と、笑顔が返ってくる。
 97歳の私の母は、5坪ほどの家庭菜園で今も元気に、草取りなど畑のお守りをしている。

              (2007年7月13日)

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