赤穂の概要

   忠臣蔵のふるさととして知られる播州赤穂は、兵庫県の西南の端にあって、岡山県と接した街です。赤穂市の面積は約130平方キロメートルで、5万人程度の人口は、ここ30年でほとんど変わっていません。

   市の南側は、日本で最初に国立公園に指定された瀬戸内海に面し、一方、後ろ側は緑豊かな山々に囲まれています。市の中央を流れる千種川は名水百選の一つに数えられる清流で、そこでは、シジミが取れ、いつも鳥たちがたわむれています。

   赤穂は、晴天の日が多く温暖な気候に恵まれ、塩と忠臣蔵の街として古い歴史と伝統を誇りにしています。

赤穂の歴史

数多くの遺跡から、赤穂の地で人々が生活するようになったのは先史時代のことと考えられます。赤穂は千種川の河口に作られた街で、時代とともに堆積が広がり、街の中心は下流に向かって次第に移動してきました。織田信長、豊臣秀吉の頃に河口のデルタ地帯に城が築かれましたが、それを基に1661年に完成した赤穂城は、浅野家断絶に伴う城の明け渡しの舞台になりました。赤穂では古代から製塩が行われたようですが、近世には大きな塩田が作られ、主要な産業として発達しました。幕末には約8千人が直接間接に製塩・販売の仕事に従事し、その家族も合わせると少なくとも2万人の人が製塩を生活の糧としていたと推定されています。しかし、1955年頃に入浜式塩田から流化式塩田に変わり、さらに1972年には製塩法はイオン交換膜を使う方法に移行して、全国一斉に塩田が廃止されました。これによって広大な赤穂塩田の土地が再利用可能になり、千種川の西側は工業地帯に、また東側は住宅地帯に整備されることになりました。現在では、古いものと新しいものとが見事に調和した美しい街になっています。

赤穂の街

赤穂の街は千種川の両岸に広がっていますが、さらに高さが200−400mくらいのいくつかの山によって市街地の多い南側と田畑の多い北側に分かれています。街の中心は赤穂城跡で、そのあたりには大石内蔵助の屋敷跡や浅野家の菩提寺などもあります。さらに、JR播州赤穂駅、赤穂市役所、文化会館(ハーモニーホール)、総合体育館で囲まれる領域が街の中心部と言えるでしょう。一方、市の南東の端の高台・赤穂御崎には瀬戸内海と家島諸島など多くの島々を望む眺めのすばらしい展望台があり、そこは桜の名所にもなっています。この辺りには温泉が沸き、大きな旅館やかんぽの宿などもあります。また、千種川の東側の河口付近には海浜公園が作られており、広々とした公園には大観覧車を初めさまざまな施設があります。さらに、その隣にある唐船サンビーチでは、潮干狩や海水浴を楽しむことができ、四つ星クラスと評されるオートキャンプ場もあります。また、海と逆の側の小高い山には観光牧場や観光農園のほかゴルフ場もあります。さらに市の東側にあたる坂越には古い家並みが残されており、特別天然記念物に指定されている原生林の島・生島(いきしま)や焼き牡蠣の食べ放題などが楽しめる海の駅もあります。(下に大雑把な地図を示します)
1:赤穂城跡
2:播州赤穂駅
3:赤穂市役所
4:文化会館
5:総合体育館
6:赤穂御崎
7:海浜公園
8:観光牧場
9:ゴルフ場
10:生島
11:海の駅
12:関西福祉大学
13:有年駅
14:坂越駅
15:赤穂インター

赤穂付近の交通網

JR山陽本線(A)は赤穂市の北端の有年を通りますが、播州赤穂駅へは相生または岡山でJR赤穂線(D)に乗り換えるか、あるいは京阪神方面からであれば、JR新快速の播州赤穂行きの電車に乗るのが便利です。この播州赤穂駅を発着する直通の新快速電車は上下線を合わせて1日32便あります。また、相生には多くの山陽新幹線(B)の列車が止まります。一方、車の場合には、山陽自動車道(C)の赤穂インターで降りれば、そこが赤穂です。また国道250号線(E)は赤穂の中心を貫いて、隣町である相生および岡山県の日生に通じています。

なお、市内では、御崎(赤穂温泉)、保養センター(かんぽの宿)、坂越港・海の駅などと播州赤穂駅とを結ぶ路線バスのほか、お城前−赤穂駅−坂越港−保養センター−御崎と、代表的な見所を回る、観光に便利なバスも運行されています。

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