先頭のページ
前のページ
次のページ
末尾のページ
トップ
バイク NOW
バイク NOW
バイク24年06月-23年01月
バイク22年12月-22年01月
バイク21年12月-21年01月
バイク20年12月-20年08月
バイク20年07月-20年05月
バイク20年04月-20年03月
バイク20年02月-20年02月
バイク20年01月-19年11月
バイク写真 NOW
バイク写真 NOW
バイク写真24年09月-23年01月
バイク写真22年12月-21年01月
バイク写真20年12月-20年05月
バイク写真20年04月-19年11月
etc NOW
etc NOW
etc23年12月-23年07月
etc22年06月-22年04月
etc22年03月-22年01月
etc21年12月-21年10月
etc21年09月-21年08月
etc21年07月-21年06月
etc21年05月-21年01月
etc20年12月-20月08月
etc20年07月-20年05月
etc20年04月-20年02月
etc20年01月-19年11月
etc写真 NOW
etc写真 NOW
etc写真23年04月-21年10月
etc写真21年09月-21年01月
etc写真20年12月-20年05月
etc写真20年04月-19年11月
バイクとetc BBS
お宝(書籍商)
お宝(書籍商) NOW
お問い合わせ
利用規約
関連リンク
更新履歴
更新履歴
更新履歴 2025年
更新履歴 2024年
更新履歴 2023年
更新履歴 2022年
更新履歴 2021年
更新履歴 2020年
もくじ
バイク NOW
バイク24年06月-23年01月
バイク22年12月-22年01月
バイク21年12月-21年01月
バイク20年12月-20年08月
バイク20年07月-20年05月
バイク20年04月-20年03月
バイク20年02月-20年02月
TZR250(1kt)とバトルシフター
TZR250(1kt)とF3シリンダーとTZチャンバー
TZR250(1kt)とCRキャブと忠レー
TZR250(1kt)と双葉郡富岡町
TZR250(1kt)と双葉郡楢葉町
TZR250(1kt)と双葉郡広野町
バイク20年01月-19年11月
サイト内検索
TZR250(1kt)と福島県双葉郡富岡町
PCサイトをスマホでご覧の方は、「
スマホで見る
」をクリックすると見やすくなります
TZR250(1kt)と福島県双葉郡富岡町
2020年2月11日
富岡町
TZR250(1kt)は楢葉町役場から、さらに6号線を進み、事故を免れた、
福島第二原子力発電所を右手に見ながら北進します。
そして、国道6号線を右折して富岡駅へ向かいます。
右折後しばらくは、人の住んでいない町並みでしたが、
駅に近づくにつれて、建物の1階部分の損壊が、目に付くように
なります。まだ、震災の時から復旧のための、人の手すら入っていない
と聞いていましたので、覚悟はしていきましたが、時間は、完全に
止まっていました。
草が生え、駅舎はまったくなく、ホームがあるのでやっと駅であった事が
わかる富岡駅、駐車場で水没したであろう車。波に打たれ人家に
飛び込んでしまった軽自動車、一階を波にもって行かれてしまった
家屋、波に漂い吹寄せられたように一塊になって重なり合う自動車。
震災後、人の手が加えられているのは、お亡くなりになられた方々を
ともらう石碑と、立ち入り禁止のロープ、除染で集まってきた
堆く積まれたプレコンバックの山と、近くに見える汚染物質の処理場
くらいでした。
福島第一原発は、ここから10キロ以上、まだ先にありますが、
ここにくるまでに二つの発電所を通り過ぎています。
ほんとうに発電所だらけです。
もし、第二原発が、第一原発と共に問題を起こしていたら、
どうなっていたのかと非常に不安な気持ちにさせられると同時に、
この地域の方々の、協力があるから安定した電力を教授できたことを
痛感させられます。
たまたま、浪江町方面から車で南下されてきた方々と、
慰霊碑の前で、話す機会がありましたが、富岡以北はここと同様の
状態と、話されていました。やはり、情報があまり出てこない中で、
記憶の中に埋もれてしまう前に、この惨状を自分の目に、
焼き付けておきたいので、車で関西から来たとのことでした
慰霊碑で黙祷し、富岡駅を後にして、6号線越えて西方の市街地の大通りを走りましたが、人、動物を含め動くものは、何もありません。
誰も使わない信号だけが、無機質に規律正しく動いていました。
ただ、家屋のシャッターが閉まっていたりするのを見て、津波の被害を
受けずに、戸締りをして避難できる時間があったのだろうと、
想像できて、多少ながらも安堵感をおぼえました。
また、見渡すところ破壊されている家屋等が見受けられない事から、
警察の方々の、質の高い警備がなされているであろうことが
感じられました。本当にご苦労様です。
程なく走っていると前方からパトカーが。止められて、職務質問です。
とくに疚しい事はありませんので、聞かれるがままに、勤務先まで
総てお話しました。何を話したかは、覚えていませんが、
ただたんに興味本位で被災地を見物にきたとは、思われたくない
一心で、いろいろと説明していた記憶があります。
6号線に戻り再び北上を始めます。バイクでは、もうそんなに先までは
行けません。
途中に富岡の警察署(双葉警察署)があり、その裏手の公園に、
津波に飲み込まれ、大破したパトカーが、祭られていました。
海岸線を警ら中に震災にあい、最後まで、住民に高台への避難を
呼びかけていて、命を落とされた増子警視、佐藤警部補の
2名の警察官の方が、乗務されていたパトカーです。
地元の住民のお持ち、命を落とされた警察官のご家族の気持ち、
もし自分が警察官だったら、もし自分の子供が警察官だったら等と、
いろいろ考えてしまうと複雑な心境になってしまいます。
ただ一つ言える事は、お二人の責任感と使命感は、簡単に
真似することができるような、安易なものではないという事です。
そして、そのおかげで命を落とすことの無かった住民がいるのです。
お花にお水をあげて、時間をかけて合掌させてもらいました。
今、このパトカーは他の場所に祭られていると記憶しています。
1ktは、再び北進を始めました。が、3キロも進むと交差点があり、
その先にバリケードが築かれ、通行制限をしています。
その手前で道端にいる、警察官と、警備員さんに呼び止められて
これ以上バイクじゃ行けないから、引き返すように言われ、
再び職務質問を受けました。無駄なお時間使わせてしまい、
お手数おかけしました。
一応Uターンしました。が、私がいられる時間にも限りがあるので、
可能な限り少しでも核心に近づきたく、脇道から6号線の西側の
夜ノ森駅の近くを北進しますが、線路より東側は、バリケードが延々と続き、人の侵入を
許そうとしません。
夜ノ森駅を過ぎて三叉路になったところで、パトカーが停車して
検問していました。そこで、再び職務質問されて、事情を話しましたが
この先は行けないから、戻るようにと諭されました。
ここより北の地域は、しっかりと監視、管理されている地で、迷惑を
かけずに進む事は無理と判断し、戻る事にしました。
帰りは楢葉町役場の飲食店まで戻り、自販機ですがコーヒーを
飲んで、ならはインターから常磐道に乗り、行きと同様に
関本パーキングで休憩。途中、雨にも降られましたが、19時前には無事帰宅できたと思います。
双葉郡の町々では、自然の強大な力と、科学が暴走した時の
恐ろしさ、それらに翻弄されてしまった、地元にお住まいの方々の悲哀を感じてきました。
でも、いかに自然が強大でな力を持っていても、科学が暴走しても、
それらに立ち向かう方々も、たくさんいらっしゃるという事もみてきました。
それぞれ立ち向かい方は違いますが、患者を守る医者、
護岸工事を行う工事関係者、原発修理を行う工事関係者、
その方々に暖かい食事を提供しようとがんばる方、命を懸けて、
避難を呼びかけた方、避難された方の家や財産を不貞な輩から
がっちり守る方々、そのみなさんに「ありがとう、ご苦労様です」と
伝えたいです。
余談ですが、今回、職務質問を3回受けましたが、そのうちの2回に
ついては、おまわりさんと多少会話ができました。お二方とも、
西日本から福島県を守るためにおみえになっていました。
お一方は福島に来て1ヶ月、もう一方は、約1年でそろそろ帰ると、
話されていました。ほんとうに「ありがとう。ご苦労様」です。
被災されている方々には、おかけする言葉が見つかりません。
「避難解除で戻れるようになったら、戻ってきて復興を」なんて
安易に、お言葉をかけることはできませんし、そんなに簡単なものじゃないです。
ただ、皆さんが、お留守の中でも、黙々と仕事に従事されている
方々が、いらっしゃることを私自身が、時に触れ思い出していきたいと
思いますし、これを読んでくださった方もそうであって欲しいと思います
そうした方々の大きな成果の一つが来春の、常磐線全線開通だと
思いますし、何か微力ながら私にも何か出来ることがあるのではと、
改めて思います。
常磐線開通が夜ノ森の桜祭りに間に合えば、いいなと心から思います。
本当は昨年の夏季休暇に、開通の一足前にホテルまで建った富岡駅を含め、
2015年となるべく同じルートをたどってみようと思ったのですが、天候が悪く、実行には
移せませんでした。
今年夏には、皆さんに2015年とは大きく違っている町々を、ご報告できればと思います。
この、ツーリングの後、バイクでは経験上、最強の筋肉痛にさいなまれ、ほぼ2日間布団から
起きる事が、辛かったでした。若くないだから、もっと、休憩とって休みながら行かないとだめですよね。
長文、乱筆乱文になりましたが、福島県が立ち直ろうとしている姿を、またそれを支える方々の
ことを知っていただければと書いてみました。
長々とお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m